HOME釧路地区吹奏楽連盟の歩み第5章-1992年(平成4年)〜2001年(平成13年)
- 釧路地区吹奏楽連盟の歩み
- History
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厚岸町立厚岸中学校、釧路市立北中学校、釧路北陽高等学校が地区代表 |
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【道大会金賞】
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【全日本大会】
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このころの釧路地区吹奏楽連盟(北海道吹奏楽連盟50年史」より)
平成7年、これまで長い間、釧路地区吹奏楽連盟のリーダーとして活躍された佐藤昌之氏が名誉理事長となり、本谷則夫氏が理事長に就任した。その冬のアンサンブルコンテストにおいては、北海道釧路北高等学校(現:釧路明輝高等学校)クラリネット四重奏が平成5年度のサクソフォン四重奏に続き全日本大会出場を果たした。また、釧路北高等学校は平成10年度にも全日本アンサンブルコンテストに出場し、サクソフォン四重奏を札幌コンサートホールkitaraに響かせた。平成10年度に退任された本谷則夫氏の後を受け、中野国韻氏が第10代理事長に就任し、武山昇事務局長(当時)と共に歩みを進めた。これまで、マーチングの普及活動に努めてきた釧路地区吹奏楽連盟にとって、この年のマーチングフェスティバル小学校バンドの部で釧路町立富原小学校、フェスティバルの部で釧路市立北中学校が揃って全日本大会(全日本小学校バンドフェスティバル/全日本マーチングフェスティバル)に初出場を決めたことは大変嬉しいニュースであった。また、両校は平成12・13年度大会においても代表となり、見事3年連続全国出場を果たした。
平成13年度は釧路地区吹奏楽連盟にとって創立40周年という節目の年となり、記念誌の発行や作曲家の保科洋氏をゲスト指揮者に迎えての記念演奏会等とともに記念式典を盛大に挙行し、今後の連盟の発展を誓い合った。 平成13年度から釧路地区としては初めて、中野国韻理事長が北海道吹奏楽連盟常任理事に就任し、全道レベルでの考え方や動きなどが、よりきめ細かく見渡せるようになった。
平成14年度は、この年から北海道吹奏楽連盟が参加を決めた東日本学校吹奏楽大会への出場をめざし、小学校や中学校B・C編成、高等学校B・C編成の取組に熱の入った年となり、その第1号として北海道釧路東高等学校が代表に推薦され、仙台市で行われた同大会への出場を果たした。また、全日本小学校バンドフェスティバルの「三出」制度で出場権がない釧路町立富原小学校は「国民文化祭とっとり」へ参加した。
平成15年度の東日本学校吹奏楽大会では、北海道中標津高等学校がフェスティバル部門に出場し、支部長賞を受賞した。また、全日本小学校バンドフェスティバル及び全日本マーチングフェスティバルにおいては、釧路町立富原小学校と釧路市立北中学校が三出明けの再スタートを切り、見事北海道代表に返り咲いた。その後、富原小学校は平成16年度大会、北中学校は平成16・17年度で北海道代表となった。
平成17年度においては、小学校11団体、中学校32団体、高等学校19団体、大学3団体、一般14団体の計79団体が加盟し、学校の統廃合や少子化の波の中であるものの、吹奏楽人口は近年増加傾向にあり、講習会の参加人数や管楽器個人・アンサンブルコンクールの出場数なども増え、運営にあたる担当部会としては嬉しい悲鳴をあげているところである。
また、釧路地区吹奏楽連盟公式ホームページを創立40周年にあわせて開設しているが、多くの皆様から好評で、全道ばかりでなく全国各地にまで閲覧者がおり、お褒めの言葉をいただいている。
マーチングコンテストのはじまりと全日本大会連続出場
北海道におけるマーチングの歴史は昭和60年に始まる。北海道マーチングフェスティバルとして産声をあげた当時は、マーチングバンドはもちろんのこと、バトントワリングサークルも出場したりと、小学生から大人までがそれぞれの演奏演技を楽しむ発表会形式であった。昭和63年に全日本吹奏楽連盟が「マーチングフェスティバル」事業を開始してからは、コンクールの部とフェスティバルの部に分け(その後はパレードコンテストの部とフェスティバルの部)、全日本大会への出場権をめぐる大会へと変わっていった。釧路地区においては、それまでマーチング事業を行ってはいなかったものの、全道的にマーチングが普及してきたことや新たな分野にチャレンジしようとする開拓者精神もあり、全日本のマーチング開始に合わせて、地区大会は実施しないものの釧路市立北中学校が第4回北海道マーチングフェスティバル・フェスティバルの部に初めて出場したのを皮切りに、その後釧路市立愛国小学校も第5回大会に出場、北中学校は第6回・第7回大会にも出場した。
しかし、マーチングの普及を目指すためには一刻も早く地区大会を開催することが最も効果的であると判断した当時の役員は平成4年、釧路市厚生年金体育館を会場として「第1回釧路地区マーチングフェスティバル」の開催を決定した。この第1回大会には、出場経験のある釧路市立北中学校のほか、出場経験のない厚岸町立厚岸中学校や釧路北陽高等学校なども参加し、初めて地区予選大会を経て代表を北海道大会に推薦することができるようになった
釧路地区におけるマーチングの普及に力を注いだ当時の第4事業部長・武山昇氏をはじめとする役員の努力の結果、平成11年、釧路町立富原小学校と釧路市立北中学校がそれぞれ全日本大会への出場を決め、その後、富原小学校は5大会連続、北中学校は6大会連続出場という輝かしい記録を樹立した。このことは釧路地区の誇りでもあるとともに、釧路地区のマーチングレベルの高さを全国に広めることとなった。 マーチングコンテストは、北海道マーチング・バトントワーリング協会道東地区予選大会との併催、アトラクション演奏の実施などさまざまな試行錯誤をしながら回を重ねてはいるものの、根本となるマーチングバンドの育成・普及が学校での部活動運営における時間的制約や少子化等の影響で進んでいない状況である昨今において、大会規模の頭打ち状態が続いているのが現状である。
吹奏楽フェスタから始まった一般団体との連携
現在においても毎年秋に開催される吹奏楽フェスタ。釧路市芸術祭の一環して行われ、単独団体や複数団体による合同バンド等が多種多彩な曲を演奏し、華々しく行う発表会である。これまで大会事業や講習会事業しか行っていなかった連盟にとって、加盟団体が集まって発表会(演奏会)を開催することが一つの夢であった。参加は複数団体による合同バンドが主である。これは、中学・高校では個々のバンドにおいて最大の力となっていた3年生の引退から間もないこともあり、単独団体での参加が難しいという事情を抱えていることが一番の理由ではあるが、一方ではこの吹奏楽フェスタを通じて他の団体との交流を深めるために合同バンドを編成する傾向も多く見られる。
吹奏楽フェスタでは、一般団体による合同バンド「フェスタバンド(開始当初はディレクターズバンド)」が一つの見物となっている。釧路地区における一般団体は釧路地区の吹奏楽人口と比較するとその数が多く、他の団体との交流を深める機会が少ないのが現状であった。団体相互が良好な関係を築き、一般団体が中心となって釧路地区全体を盛り上げていこうと、釧路シンフォニックバンド団長・堀内俊一郎氏ら一般団体代表等が中心となって編成したのが、この「フェスタバンド」である。
毎年、さまざまな指揮者のもと、団体の垣根を超えて一つの音楽をつくりあげることによって、これまで顔見知り程度であった人が知り合いになり、そして同じ吹奏楽仲間として意識を共有し団結できるようになっていった。このことにより、吹奏楽フェスタに限らず、コンクール事業での運営やその他企画等においても吹奏楽連盟と一般団体のスムーズな連携ができるようになった。
連盟運営は、参加団体の半数以上が学校関係団体であることから学校を主体としたものと思われるが、釧路地区吹奏楽連盟における全体の団結力向上や良好な運営基盤の陰には、この一般団体の支えや力があったのである。
公式ホームページの開設
釧路地区吹奏楽連盟が40周年を迎えた平成13年、社会における情報発信方法の多様化に伴って、迅速かつ円滑に情報を提供することを目的とし、公式ホームページを開設した。当時、北海道においては旭川地区吹奏楽連盟が開設していた以外にどの地区も手つかずの状態であり、北海道吹奏楽連盟においても開設していない状況であった。釧路地区では40周年の節目の年に何か新しいものを始めようと意欲的に検討を行い、現事務局次長・田中健三氏に企画制作等を依頼。独自ドメインを取得して他地区や他支部では行っていないようなコンテンツの企画、大会情報の速報化、加盟団体の取組についての広報強化を柱にするとともに、外部事業者による制作及び運用管理を行わないことを決定して着手。制作期間はわずか1ヶ月間であったものの、5月1日、無事開設にこぎ着けた。
開設から数年間は、前述のとおり北海道吹奏楽連盟で開設していない状況下であったため、北海道大会の結果を求める声が多くあったことから、大会結果発表直後に道常任理事を務めていた中野国韻理事長らが釧路にいる更新担当者に電話をし、逐一結果を伝達した上で、担当者が即時ホームページへの掲載を行うという「人海戦術」を行っていた。この方法により文字通り速報することに成功し、「釧路地区のホームページは全道一、結果掲載が早い」との評判を呼び、一時は一日で3万件を超えるユニークアクセスを記録したほどであった。
このほかに、加盟団体の紹介を行う「バンド探検隊」や、講習会や吹奏楽フェスタ、各種大会の舞台裏や取組を画像を使って紹介する「スペシャルリポート」等のコンテンツも好評を得た。
社会においては、今後さらにICTの利活用が必要となると思われることから、ホームページの強化を図り、釧路地区のみならず、北海道や日本国内、世界に対しても広報できるような体制づくり、また、加盟団体が有効活用できるコンテンツづくりを検討し、実施していきたいと考えている。